ベンジャミン・バトラーは1975年アメリカカンザス州、ウエストモーランド生まれ。2000年シカゴ美術館附属美術大学ペインティング専攻修士課程を卒業し、現在はオーストリアのウィーンを拠点に制作活動を行っています。
今までに、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、ウィーン、バーゼル、ベルリンなど、世界各国の都市で個展を開催しつづけており、近年の主な個展に、「二色、単彩、そしてそれ以外の風景」(小山登美夫ギャラリー、東京、2020年)、「Silver / Landscapes」(Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、2019年)、「Recent Trees and Monochromes」(Galerie Martin Janda、ウィーン、2018年)、「Trees Alone」(小山登美夫ギャラリー、東京、2016年)があります。また、彼は「sotto voce」 (キュレーション:ロバート・ボード、Bortolami Gallery、ニューヨーク、2019年)、「Verzweigt」 (シンクレア・ハウス美術館、バート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエ、ドイツ、2014年)、「Greater New York」(PS1/MOMA、ニューヨーク、2005年)を含め、国際的にも数多くのグループ展に参加しています。
バトラーは山や木々、自然をモチーフとした風景画を描きます。その単純化された枝や幹のフォルムは縦や斜線、三角、曲線等、幾何学模様のように、画面全体に余白なくリズミカルに反復されます。それらはコントラストの明瞭な色彩によって引き立たされ、具象と抽象の境界を模索するような独得の絵画表現を作り出しているのです。
彼の絵画は、コンポジションにおける様々な要素をもちながらも、シンプルで詩的な優しさ、そして現代的なクールさも漂わせます。鑑賞者は自身の記憶が呼び起こされ、物静かな瞑想の時間を与えられるでしょう。
個展
2020 | 「二色、単彩、そしてそれ以外の風景」小山登美夫ギャラリー、東京 |
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2019 | 「Silver/Landscapes」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、アメリカ |
2018 | 「Recent Trees and Monochromes」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア 「The Trees」Aura Gallery、北京、中国 |
2016 | 「Forest(s)」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「Trees Alone」小山登美夫ギャラリー、東京 |
2015 | 「Another Tree, Another Forest」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア |
2014 | 「Green Forest」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「Selected Trees」8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery、東京 |
2013 | 「In the Midst, Between, Betwixt」Pippy Houldsworth Gallery、ロンドン、イギリス |
2012 | 「PASTELS」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア 「Some Trees」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク 、アメリカ |
2010 | 「Paintings and Drawings 2010」小山登美夫ギャラリー、東京 |
2009 | 「These Trees」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア |
2008 | 「Dark and Leafless」Lora Reynolds Gallery、オースティン、アメリカ |
2007 | 「New Trees」Galerie Michael Zink、ベルリン、ドイツ 「New Trees」Karyn Lovegrove Gallery、ロサンゼルス、アメリカ 「Leafless Trees and Sakura」小山登美夫ギャラリー 、東京 |
2006 | 「New Trees and Forests」Lora Reynolds Gallery、オースティン、アメリカ |
2005 |
「Paintings」Groeflin Maag Galerie、バーゼル、スイス 「New Paintings」Karyn Lovegrove Gallery、ロサンゼルス、アメリカ 「Forest's Edge」Team Gallery、ニューヨーク、アメリカ |
2004 | 「Tree Alone」Galerie Lisa Ruyter、ウィーン、オーストリア 「Trees」Team Gallery、ニューヨーク 、アメリカ |
2003 | 「Little Mountain」Project Room/小山登美夫ギャラリー、東京 「Early Spring」Greener Pastures Contemporary Art、トロント、カナダ |
2002 | 「Mountain Painting」Team Gallery、ニューヨーク、アメリカ |
グループ展
2023 | 「6 Artists selected by Tomio Koyama Gallery」阪急メンズ大阪 1階ステージ&3階コンテンポラリーアートギャラリー、大阪 |
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2022 | 「GREEN MINDS」Mepaintsme(オンライン) 「contemporary-ism」Objet d' art、東京 |
2019 | 「球体のパレット~タグチ・アートコレクション~」北海道立帯広美術館/北海道立釧路芸術館/北海道立函館美術館/札幌芸術の森美術館、北海道 「sotto voce」BORTOLAMI、ニューヨーク、アメリカ |
2018 | 「小山登美夫ギャラリーコレクション展3」8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery、東京 「Uncanny Valley」Vin Vin、ウィーン、オーストリア |
2017 | 「The Secret Life of Plants」Freight + Volume、ニューヨーク、アメリカ |
2016 | 「 Grand Exhibition Opening」 Aura Gallery、北京、中国 「Three Paths to the Lake」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア |
2014 | 「Verzweigt」シンクレア・ハウス美術館、バート・ホンブルク、ドイツ 「Short」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア |
2013 | 「Intersection –Contemporary Abstraction and Figuration」トーランス美術館、アメリカ 「囚われ、脱獄」XYZ collective、東京 「Land Ho!」Fine Arts Gallery、バージニア・コモンウェルス大学、リッチモンド、アメリカ |
2012 | 「Disappearing Acts (Act II)」Anna Kustera Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「B-Out」Andrew Edlin Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「East West Shift to the Middle Part II」Bill Brady/KC、カンザスシティ、アメリカ |
2010 | 「LEAFLESS」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「3月のコレクション展」TKG エディションズ 京都 |
2009 | 「Mark-Making: Dots, Lines and Curves」Lora Reynolds Gallery、オースティン、アメリカ 「DARK SIDE OF THE MOON」Galerie Martin Janda、ウィーン 、オーストリア |
2008 | 「Summer Show」Lora Reynolds Gallery、オースティン、アメリカ 「The Big Gift」Illingworth Kerr Gallery、カルガリー、カナダ 「Narcissus」Geoffrey Young Gallery、グレート バリントン、アメリカ 「Anne Eastman & Benjamin Butler」ATM Gallery、ニューヨーク、アメリカ |
2007 | 「Horizon」EFA Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「Landscapes」Southfirst Gallery、ブルックリン、アメリカ 「Inside the Pale」Thrust Projects、ニューヨーク、アメリカ 「Homecoming」ナーマン現代美術館、オーバランドパーク、アメリカ 「Approaching Landscape」Galerie Michael Zink、ミュンヘン、アメリカ |
2006 | 「Palette」Greenberg van Doren、ニューヨーク、アメリカ Karyn Lovegrove Gallery、ロサンゼルス 、アメリカ Shane Campbell Gallery、オークパーク、アメリカ 「Summer Group Show」Lora Reynolds Gallery、オースティン、アメリカ 「AIR」Monya Rowe Gallery、ニューヨーク、アメリカ 「Benjamin Butler, Holly Coulis, Ridley Howard」Galleria Glance、トリノ、イタリア 「Home coming」ナーマン現代美術館、オーバランドパーク、アメリカ 「Approaching Landscape」Galerie Michael Zink、ミュンヘン 、ドイツ |
2005 | 「Hello Sunday」Sixtyseven、ニューヨーク、アメリカ 「Devil's Punchbow」Christopher Grimes Gallery、サンタモニカ、アメリカ 「On the Beach」Printed Matter、ニューヨーク、アメリカ 「Honeymoon with Romeo」Groeflin Maag Galerie、バーゼル 、スイス 「Greater New York」P.S.1、ニューヨーク、アメリカ 「Sad Songs」イリノイ州立大学、アメリカ 「Where do we come from, what are we? where are we going?」Champion Fine Art、ロサンゼルス、アメリカ 「PULP」Karyn Lovegrove Gallery、ロサンゼルス 、アメリカ |
2004 | 「A.C」Elizabeth Dee Gallery、ニューヨーク
、アメリカ 「Five Artists Show」Rove/Kenny Schachter ロンドン、イギリス 「Full Disclosure」Geoffrey Young Gallery グレートバーリントン、アメリカ 「Beat the Reaper」Allston Skirt Gallery、ボストン、アメリカ |
2003 | 「Greetings from New York: New Abstraction」Galerie Thaddaeus Ropac、ザルツブルグ、オーストリア 「Game Over」Grimm/Rosenfeld、ミュンヘン 、ドイツ 「The Larger Room」678 Echo Park Avenue、ロサンゼルス 、アメリカ |
2002 | 「Inaugural Exhibition」Greener Pastures Contemporary Art、トロント、カナダ |
2000 | 「Electraslip Knife」Alternative Space、シカゴ、アメリカ |
1999 | 「long cold winter in an endlessnameless」Studio 870、ロサンゼルス、アメリカ |
パブリックコレクション
グレンボウ・コレクション
タグチ・アートコレクション
ナーマン現代美術館
出版物
『Benjamin Butler』2012 Galerie Martin Janda・小山登美夫ギャラリー・Klaus von Nichtssagend Gallery・Galerie Zink Berlin
グループ展「6 Artists selected by Tomio Koyama Gallery」阪急メンズ大阪 1階ステージ&3階コンテンポラリーアートギャラリー、大阪
グループ展「GREEN MINDS」Mepaintsme(オンライン)
グループ展「contemporary-ism」Objet d’ art、東京
グループ展「sotto voce」BORTOLAMI、ニューヨーク、アメリカ
個展「Silver/Landscapes」Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、アメリカ
個展「Recent Trees and Monochromes」Galerie Martin Janda、ウィーン、オーストリア
個展「The Trees」Aura Gallery、北京、中国
このインタビューは、オープニング(4月3日)当日、ギャラリーで行われたアーティスト・トークの模様を編集したものです。
——— なぜ、木々や風景を描くのでしょうか?
バトラー 2001年、抽象画を描こうとしたときに、そのきっかけとして風景画のイメージを使い始めました。この年は私が最初に日本に旅行した年でもあります。日光の森や山、鎌倉の海と海岸など、自分の生活の中で様々な絵画的な風景に出会い、それらが描くモチーフと響き合って、私の関心をより強くしてくれました。またその年、私は祖母から特別なリクエストをもらっていて、それは彼女のために風景画を描いてほしい、ということでした。この誠実なお願いはいい気分転換になるし、答えたいという気持ちがありましたがそれ以上に、このアイデアによって私はある種のフォーク・アートに興味を持つようになりました。祖母は、例えばアメリカのテレビ番組で絵画教室をしているボブ・ロスのような —彼はそのメローな声や大きなヘアスタイル、そして彼の「happy trees」というシリーズの絵でよく知られていました— 作品を思い描いているのだなということはわかっていました。上品でわかりやすく、抽象的で、潜在的にはちょっと卑しい感じのするペインティングというのが、正しい行いに思えたのです。カンザスという中西部で育ったことも、この発想に関連していると思います。アメリカの中西部に住む人々の多くには、もったいぶったものに対するアレルギーがあるようです。
もちろん、すべての画家はあるポイントで、或いは何度も、「何を描くか」の選択を迫られます。たくさんの選択肢があり、にもかかわらずすべてがやり尽くされてしまっています。私が風景と木々に心惹かれたのは、具体的には次のような理由が考えられます。まず、それらはロマン派の絵画の歴史と強くつながっています(私が、絵画の中に描かれる木として好んで参照するのは、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒ、ハドソンリバー派の画家たち、モンドリアン、チャールズ・バーチフィールドなどです)。次に、木というモチーフはすべての人々にとって身近で、もはやクリシェ(使い古された表現)と言ってもいいくらいです。2010年を生きる現代画家として、私は常にこの対極性に苦しみ続けています。一体、本質的なロマン派的絵画とは、このすべてがやりつくされ、すべてがクリシェのように感じられる時代に成立するだろうか? 最後に、風景画への言及というのは、キッチュなものとの密接なつながりもあります —私は、その多くが格安で売られているようなキッチュな絵画を集めていて、それらを尊敬しているのは多分、それらがあまりに不器用で直接的すぎ、だからこそ誠実であるからだと思います。
——— 近年の作品はより抽象的になってきているようです。どのように興味が変わったのでしょう?
バトラー これらの新作では、私は作品をより抽象的な方向に導くために、木の形を筆でペイントするよりも、色鉛筆で線を描くようにして表すことを始めました。木のようなフォルムがあるものの、そこには現実的な木の存在が希薄になって来ています。それでもこの質問に答えるとするならば、私の興味と描く方法は、全く変わっていない、と言えます。私にとって、作品は常に抽象についてや、主題という問題としてのペインティングについてでした。風景画や木々は、いつも既成の構図や、抽象が生まれる場所として機能します。ですが私は、人々が自然に接したときに感じるセンチメンタルな反応の仕方と、アーティストが自然に付与している「ペインティング」、「モダニズム」、「抽象」といったものとの狭間にある、平行線の状態を描けるのではと思っています。誰でも、今や自然が未だかつてない速度で消えて行ってしまっていることを知っています。自然には、かつてものごとがいかに存在していたか、どのように見えていたか、ということへのノスタルジーがあります。これは、過去の芸術制作のやり方にとてもよく似ています。抽象表現主義は山々なのかもしれないし、カラーフィールドペインティング(もっと言えばストライプ・ペインティング)は木々、ミニマリズムは北極の氷の頂上かもしれないのです。
———あなたはなぜ、木々をこのような幾何学的なパーツに分解するのでしょう。あるいは、これらはもはや木ではなく、パターンなのでしょうか?
バトラー 確かに、木々とパターンとの区別、というのは重要なことです。多分、これは私がまず第一にペインターであって、木の専門家とか木のお医者さんではない、ということを皆さんに思い出してもらう、いい機会だと思います……。時々、私のペインティングは現実の木々についてのものでは全くないのだ、ということをわかってもらうために、一体あと何本の木を描けばいいいのだろう、と思うことがあります。多くを望み過ぎなのかもしれないけど、ペインティングに描かれる木というものは、過去の遺物として見つめられ、敬われ、やがて無視されていく、そういうものです。木々とその周囲を描くパターンとを見た目上で区別することによって、このような思考につながる試みをしています。
——— ブラッシュストロークの違いについて教えて頂けますか? 薄く塗られただけの部分もあれば、マットに塗りつぶされた箇所もあります。
バトラー ペインティングのテクニックの多様さを用いています。例として、一番大きいペインティング”Untitled (Blue, Green, Brown)” *1 では、絵の中のそれぞれのエリアが、個々にひとつのペインティングとして機能する、ということを基本的に考え続けていました。ドライブラシのかけ方によって、ある部分はたくさん塗る過程の中でより表情豊かになり、ある部分はその逆になります。マットな部分はまた、とても形式的な部分であるとも言えます —ある時は鑑賞者を絵の中に招き入れ、またある時は画面からはじき返すのです。
———作品の多くには、地平線のようにひかれた線や、白い余白のラインが見えますが、これらは地平を表していますか?
バトラー 白いキャンヴァスの、地が出ている部分ですよね? 小さいペインティングと、大きいものでも”Dark Tree (Blue, Green, Brown)” *2 においては、この白い線はまさに、木が育った土台としての地面、地平線を表しています。けれど、そこには2重の意味があります。この部分はまたペインターにとっての土台でもあって、キャンヴァスにジェッソが塗られて、今まさにその上から絵の具を置いていく、準備ができあがった状態の下地でもあるわけです。
その他のペインティングでは、余白部分は似たような機能を持ってはいるけれど、そこまで比喩的ではありません。
——— “Autumn 2010” *3 という作品はオレンジ色一色で塗りつぶされていて、他の作品とはかなり違いますね。
バトラー この作品Autumn 2010は、ちょっと不思議な方法でできあがったんです。キャンヴァスをストレッチャーに貼る前に、私はその木枠の部分を眺めていて、ちょうど6年前に制作したペインティングで、とてもラフに木立を描いたようなストライプのシリーズを思い出したんです。水平の面の上に垂直の木枠があって、それがまるでそのストライプのシリーズが必要最低限の要素でよみがえったように思えました。季節というのも繰り返し描くテーマのひとつですが、それはあるときには画家自身の制作の循環を表すメタファーであり、あるいはよりシンプルに、風景画というジャンルへのつながりを得る方法でもあります。そのストレッチャーの構図がどのような結果になったかというと、とても人工的な色をした、ミニマルで、なおかつペインタリーでもある、このオレンジの絵になりました(バーネット・ニューマンのzip painting[ビュッという勢いのある絵画、ニューマンの手法] を思い起こさせもしますね)。激しく、人工的な色のせいで、この絵が秋の色には到底見えないという人もいることも知りました。そのことを頭において、この絵がこれからやって来る今年、2010年の秋を表す予兆かもしれない、という設定にするのも面白いのではと思いました。
———タイトルがついている作品もあれば無題のものもありますが、どのように区別していますか?
バトラー タイトルは、展示全体のトーンを設定することができます。”Paintings and Drawings 2010″という展覧会タイトルには、伝統的な抽象絵画の展覧会、といったイメージを感じてほしかったので、作品ではまずドローイングや小さいペインティングを「無題」と決めて行きました —「無題」と題するのは、20世紀半ばまでの抽象画家たちがよく使っていた方法なんです。けれども4つの大きなペインティングについては、私の過去の作品と連なるように、タイトルをつけました。私の昔の作品は”Sway”(動揺)とか”Orange Stripes, Morning Light”とか、詩的なものが多く、それらはやがて風景や季節の形容詞のせいで詩的に聞こえるだけの、ありふれたタイトルに変化していきました。今は大体、作品を名付ける時は直球で、使っている色や描いた自然のモチーフの名前を、ガイダンスとして直接的に記すだけのことが多いです。こういった方法での1番エクストリームな例は、2006年に描いた”Fifty-Five Trees at Sunset”という絵で、この絵には実際、55本の木が描かれていたんですよ。
———今回、ドローイングをギャラリーで発表するのは初めてですが、これらはペインティングの習作ですか?あるいは、独自の意味合いがあるのでしょうか?
バトラー ドローイングとペインティングはこの展示の中でお互いに会話し合い、影響し合っていて、決して習作というわけではありません。それぞれが個々に独立した作品です。今回の展示は、もともとドローイングのショーとして考えていました。これは私にとって、とても内省的な局面に来ているということです。私はニューヨークのスタジオから離れて、非日常的なセッティングで制作を続けました。このことでいくつかの、試さずにはいられないような新しいペインティングのアイデアが生まれました。色鉛筆のドローイングと水彩を鎌倉で描き終わった後、私はそこで小さなサイズの油絵を描き始めました。ドローイングは文字通り、ペインティングへの道筋をつけてくれたのです。ドローイングはそのあと日光でも描き続けて、東京のスタジオスペースに移り、それから大きな絵を描き始めました。
———この展覧会を終えて、やってみたい新たな試みが生まれましたか?
バトラー 展覧会の間と終わった後には、いつもものごとをじっくり考え、再評価する時間が必要です。作品へと戻って行くためには、新しい方法を見つけなくてはなりません。日本で過ごした今回の時間は、とても特別なものでした。これから何が私の視点を変えて行くことになるのか、今の時点で言葉にすることは難しいです。今度私がニューヨーク・ブルックリンのスタジオに戻って絵を描き始めるまで、それはわからないでしょう。にも関わらず、次のコーナーでは一体何が待ち受けているのか、私はとても興奮していますし、改めてエネルギーチャージされた気持ちでいます。
Interview by Tomio Koyama Gallery
Photo / Kei Okano:installation view
Ikuhiro Watanabe :works