今回、新型コロナの影響で、カンボジアのアーティスト、クゥワイ・サムナンの展覧会ができなくなったことからこの展覧会は始まりました。
新型コロナ状況下で、マスクをしている人々。顔は見れません。初めて会った人はこの先、会わなければ一生顔を見ることはなく、知った人でも以前見た顔を想像するしかない。まあ、もちろん食事とかできればいいんでしょうが。。
そんななか、今回の「顔」のアイデアは、いま、CADAN有楽町でやっている展覧会ーあなたの「顔」が見たかったーをキュレーションしているSprout Curationの志賀良和さんと話している時に浮かびました。小山登美夫ギャラリーでは顔を題材にしているアーティストが何人もいます。顔を描き続けるアーティストたち。その時、顔にどんな魅力や意味があるのか?ゲスト・アーティストとして、MISAKO & ROSENさんから有馬かおるさんに参加していただき、さらにギャラリーアートもりもとさんの協力で、風景画でも有名ですが、生々しく現代に通じる顔を描くと思っていた里見勝蔵さんの水彩をご遺族から出していただき加えさせていただきました。
何人かのアーティストには顔についてのコメントも寄せてもらっています。
いま、マスクをして展覧会を見ることになる皆様に、マスクのない顔の作品を見ていただきたいと思います。
小山登美夫
【本展出展の、中園孔二作品ご購入に関して】
本展に出展される中園孔二作品2点につきましては、多数のお問い合わせがあるため、「抽選による販売」を行うことに致しました。
お申し込み方法等、詳細は下記URLをご覧ください。 ご不便をおかけいたします。
http://tomiokoyamagallery.com/news/info/face_nakazono/
【本展に際しての、アーティストコメント】
「ある日、人の顔が風景に見えた。それから、顔を風景のように描いている。(彫刻)私の中にいるファウスト。」
-有馬かおる-
「顔は空っぽのマスクである。私たちは顔を使ったり、持ち運ぶ。まるで顔が聞いたり、嗅いだり、話したり、見るゴーストであり、また空っぽのスクリーンであるかのように。顔は親密さを伝えたり、現実を生き生きとさせる解読機のような役割もあるが、ただそれは依然として私たちにとっては計り知れないものだ。他の人の顔は、人々が(私自身を含め)自分の顔、マスク、ゴースト、フィルターとは向き合えない、ということを投影するスペースでもある。」
-ディエゴ・シン-
「マスクで表情が隠れていると、コミュニケーションに一抹の不安を感じます。
顔への興味は、即ち人への関心だと思います。」
-川島秀明-
「顔は扉のようなもので、そこから色々なものが出入りします。食べ物、空気、光、音、情報、気持ち、何かわからないもの。」
-小出ナオキ-
「私が顔を描くのは一番人格を感じるモチーフだからです。
見られていると、自分が肯定されてくような気がします。」
-名知聡子-
「『Funny smile.』
汚染された「日本の肖像」 山梨のアトリエの近くの森で「食品衛生法で定められた一般食品の放射性セシウム濃度を超える放射物質が現出されました。このため山梨県富士吉田市内で発生したので、野生キノコについて、当分の間、採取、出荷及び摂取を差し控えるように。」という注意看 板が毎年季節になると出現する。 富士吉田に移り住み、その場所の樹海や原生林をテーマに自画像を描き続けてきた自画像の作品は2011年のフクシマ以降、変わっ てしまった。
あの時、セシウムが東京を越えて山梨の富士吉田の原生林に降り注いでいたのだ。 この注意看板を見た時、福島第一原発内のガンマ線測量器の不気味なグリーンの色と、90年代、少年時代に SF 映画によく見た地 球外生命体のケミカルなグリーンの色が頭の中で奇妙につながった。それ以降、富士吉田の森はグリーンのフィルターがかかったよ うに見えてくるのだ。そこに住んでいる自分にもグリーンのパウダーが降り注いだのだろうか。 今までは「自画像」は森と自我の関係を描くことだったのが、その出来事以降、私はセシウムに汚染されたグリーンの「自画像」と してポートレイトを描き続けている。それは、汚染された「日本の肖像画」でもある。」
-大野智史-
「14年前のある夜明け、4時頃…
目覚めると、姪のメーガンが私の小さなスタジオに向かって、じっと座っていた。
当時の彼女の身長と同じ高さの、ある一方向を向いていた。
彼女は4歳だった。
小さなペインティングの山々。
私は彼女の肩を揺すり、優しく声をかけた。
彼女はじっと座っていた…沈黙したまま。
数分後、彼女は寝転び目が涙で溢れていた。
私は落ち着かない気持ちになった。
メーガンは静まらない。
とはいえ…朝まで待つことにした。
朝の8時頃に日が昇り、メーガンは既に起きていた。彼女は横になったまま、また泣き始めていた。
私が窓を開けると眩しい光が射し、彼女はようやく目を開くことができた。
私は、どうしたの?と何度も尋ねたが、彼女は一言も話さなかった。
当時の私の家は古い木造だった。その家は目に見えないものたちにとても敏感で、たくさんの精霊たち(スピリッツ)と強く繋がっていた。私は全ての存在を無視し、一切を認めなかった。
お風呂の後、メーガンは話し始めた。彼女はすべてのペインティングをよそにやってほしいと頼んだ。とても、とても遠くへ…
私は彼女があまり良くないものを見たことがわかっていた。
荷物を集め、私は彼女を家まで送った。私の家でメーガンがあのような振る舞いをしたのは初めてだったので、私は原因を考え続けた。彼女はよく我が家に来ていたけれど、このようなことは一度だってなかった。彼女は少しだけ語った。私のペインティングの中の人が彼女を呼んだ、と。
それ以来、彼女はその日について語ることを拒否した。
メーガンはファティナの姪で、私の家は彼女が小さい頃の遊び場だった。彼女は私たちと一緒にいることが好きだったし、とても明るい子だった。よく話す賢い子。
ある晴れた日、私たちは彼女と、彼女の弟と一緒に昼食をとった。メーガンは12歳。私たちは怖い話をして、弟のマックスを怖がらせようとしていた。
私はメーガンにあのペインティングの件を尋ねた。彼女は緊張していたが話すことを決めた。私のペインティングから人が出てきた、と彼女は言った。顔を描いた私のペインティングの中でも、赤い顔の作品。老いた男が彼女の名前を呼び、一緒に遊ぼうと言ったという。彼女に面して座り、彼女の名前を呼び続けた。
私はそのペインティングを覚えていた。4枚シリーズのうちのひとつで、4つの要素を表していた(火、水、地、風)。私はそれら4つの顔を潜在意識によって描いていた。私は既にその絵について思い出していたが、更に詳しく知りたかった。メーガンは、とても怖かったし当時は小さかったから(4歳)その状況があまりよくわからなかった、と言った。彼女は本当にその老いた男が彼女と遊びたがっているのだと思ったし、彼女の名前を知っていることを不思議に感じたそうだ。
わたしはいわゆる精霊たち(スピリッツ)の領域、と言われるものに気づいている。マレーの伝統や文化において、このような状況に出会うことは珍しくない。アーティストが顔を描くことはよくあるが、内在的な方法を使ってエネルギーを移すようなアーティストはあまり多くはないかもしれない。私は量子論にのめり込んでいて、どうしてもそうする必要があると思った時にはいつでも父の「東のやり方」を実行してきた。その方法とは、私に内在するエネルギーで、エネルギーや波を受け取り、ある特定の空間または場所に移すこと。私はそれらと無作為に同調し、存在を目撃する。
顔たちは単なる偶然ではない。全ては在るべくして在る。」
-シュシ・スライマン-
【作家情報】
各作家の詳しい情報は、下記それぞれのリンクをご覧ください。
ダン・アッシャー
有馬かおる
川島秀明
小出ナオキ
桑原正彦
名知聡子
中園孔二
大野智史
里見勝蔵
ディエゴ・シン
シュシ・スライマン
プレスに関するお問い合わせ先:
Tel: 03-6459-4030 (小山登美夫ギャラリー オフィス)
Email: press@tomiokoyamagallery.com (プレス担当:岡戸麻希子)